・二分で分かる山谷の歴史
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・一期一会の出会い
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・監督Y |
・コツ通り商店街 |
一期一会の出会い
山谷人間模様
山谷夕暮れ時
山谷は一期一会の街だ。出会いがあったかと思えば、さよならを言わずに去って行く。そうかと思えばひょんな場所で再会したりする。
おお、生きていたのか?そんな具合である。山谷は匿名性の街、行きずりの街だからと思われそうだが、私には人一倍情に熱い人が多い様に思う。喜怒哀楽の表現の仕方が不器用なだけなのかもしれない。その反面、匿名性の街として、長い歴史の中、罪人の隠れ蓑になってきたことも事実である。いわゆる訳ありの人や、やむなくこの街に来た人にとって、己の過去を晒すことを拒むのは往々にしてあることだ。山谷において、匿名性を守るというのは暗黙の了解であり、今でも守られ続けている。誰しもがそうというわけではないが、聞かれないという事はある種の人たちには都合がいい。その反面、中には、己の生い立ちを自慢げに語る人もいる。またある人はこんな事を言う。「実はおれが高倉健なんだ。ここだけの話だけどよぉ」。色々な人がいるから山谷は面白い。
某宿の帳場ここにおいて、「じゃあ、また明日」という言葉は大して意味をなさない。そう言って、それが最後の挨拶になった人を何人も知っている。寂しく思うこともあるが、この街から出て行けたらのなら、それはそれで良かったのではないかとも思う。去る者を追ってはいけない、郷に入っては郷に従えの通りだ。相手側にしてみれば、騙したとかそういう気持ちはないのだろう。ただ、明日行きて行く事に精一杯で忘れてしまっただけなのかもしれない。
ある時、中年の女性のが長期間滞在した。私は山谷の帳場で夜勤の仕事をしながら撮影を続けているが、相手からすれば帳場に座っているお兄さんくらいの存在だろう。彼女は寂しいのか暇なのか、よく帳場にに来て、差し入れを持って来てくれたり、四方山話をしに来たりした。こちらから聞く訳ではないけど、自分の身の上話もよく話していた。昔、天才写真家・アラーキーのモデルをしたという話や、どうして山谷に来たのか等等。
半年くらいはいたであろうか。大抵夜八時くらいになると、菓子袋を持って帳場に降りてくるのが私にも日課になっていた。肉体労働者の街であった名残で山谷は朝方の街なものだから、夜帳場にぽつんといる私にとっても楽しい時間だった。話がこんがらがってしまうこともあったが、紅茶には目がないらしく、色々熱心に説明してくれた。紅茶だけはいいものをと、どこぞかのお店で買ってきては楽しんでいた。
帳場は深夜24時に閉まり、朝の8時に空く。
朝は5時から目覚める街なので働く人は勝手に出て行く。
ある日シャッターを開けると、私宛の手紙が置いてあった。
詳しくは書けないが、とある理由でこの街で暮らせなくなった旨が記してあった。
そしてもう1つ小袋が入っていて、中に紅茶が入っていた。
「自分でブレンドした紅茶です。疲れが取れますので飲んでください。さようなら」
そう書いてあった。
紅茶をすすりながら、山谷の街を行き交う人を眺めていた。
寒さが厳しくなりだした12月の初めの事であった。
紅茶入りの手紙