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語らぬ老婆
帳場体験記
山谷のとあるドヤ,冷房、カラーテレビはよくある謳い文句
帳場に座っていると、大きな音をたてて、バタンと宿の戸が開いた。異様ないでたちの老婆が、男に支えられる格好で入ってきたのである。まだ、朝方だった。顔面には明らかに殴られてできた痣の数々、膨れ上がった頬、ただ事ではないのは察するに難くない。老婆を連れて来た男いわく、そこらでドヤ探しをしていたみたいだが、女だということで断られ、路上に倒れていた所を助けてきのだという。男はNPOの炊き出しに山谷に来たのだけど、山谷に詳しいわけでもなく、色々聞いてここに来たのだと語った。元来、肉体労働者の街であったから、トラブル防止の為に女人禁制のドヤは今でも少なくない。とにかくもめ事は勘弁と、一見様お断りという張り紙もあれば、堂々と「シャブ中お断り」なんて書いてあるのも見た事がある。よく見ると、ごまかしても、主は見分け方を熟知しているから無駄なことはよせ、といった注意書きまでついていた。最近でこそ山谷地区で女性を見かけることは日常になったが、かつては地域の人をのぞけば、吉原くずれの売春婦やぽん引きくらいであった。
男が言うに、一晩だけでいいからうちに泊めてほしいという。断るという判断をする時間もない状況で受け入れてしまったが、どうみても怪我の具合が悪く、山友会の人に相談して救急車を呼んだ。しばらくすると5名の隊員が来て、「ここのドヤか?」と入ってきた。
女の部屋へ案内する。形式的な質問らしいものが終わり、隊員の方が病院に行こうと説得するも断固拒否の女。どうしたわけか分からないが、なにか言えない理由でもあるのだろうか。山谷でこういう事は多いのだが、本人の意思がないと強制的に病院に連れて行くことはできないので厄介なのである。どうにか病院へ連れて行こうと必死に声をかける。
「どこのドヤだって泊めてくれないよ」
「簡宿の人に迷惑だから、行こうよ」
「山谷で女一人でやっていくの大変なんだって・・・」
「だいたいこの痣はどうしたの?転んだんじゃないでしょ?」
隊員の問いかけにぼそぼそと答えている。そのうちに警察も来て説得に参戦する。山谷と自宅を行き来している私からしてみれば、「山谷」という言葉はかつてあった地名であるはずなのだが、リアルタイムで飛び交っているのを聞いていると、やはりここは紛れもなく「山谷」なのだと実感する。しばし自分がいつの時代にいるのかわからなくなった。
本人は転んでできた傷だから問題ないというが、素人目に見ても、殴られたものであることは明白である。そこになにがあったのかは分からないが、池袋から来たというような事を語った。たどたどしい話を整合すると、池袋から男性がらみのいざこざがあり、逃げて来たという。
「池袋?どうやってここまできたの?」
「歩いて・・・」
小一時間くらいの説得の後、老婆は病院に運ばれて行った。ところが、これはもう帰ってこないと思っていたところ、三時間ほどして帰ってきた。あらら、どうしたのかと聞くと、点滴で少し体調がよくなったから返された、と弱弱しく言う。そして、所在無さげにしながら私の前にいる。人嫌いというわけでもないみたいで世間話をしている。
正直な話、ここに連れて来たNPOの人も、生半可にかかわるくらいなら、はじめから何もしないで欲しいと思う。結局丸投げしていいことしたつもりなのかわからないが、こちらとしてはいい迷惑だ。とはいえ、私とてこの人が明日からどうしていくのか心配しても何もできない。
「死にたい」
私の目の前で連呼している。警察や隊員の方が去って少し気が楽になったのであろうか。色々話しをする中で、怪我の事を聞いてみたが、生い立ちなんかは話すくせに、そんなことは面白くないからとお茶を濁す。言いたくないことを無理やり聞いても仕方ない。しかし、その指に見え隠れする刺青からどうしてそうなったかは、だいたいの想像がつく。深追いしないこと、それがこの街の流儀である。
半年程して、山谷界隈を歩いているところを目撃した。
何をしているのか気になったが、とかく声はかけなかった。